坪ノ内〜曽屋宿

前回終了した坪ノ内バス停から再開。



早速物騒な看板。



またも物騒な看板。



気持ちの良い道… なのだが、一定間隔で「クマ出没注意」が立ってるので、手叩いたり声出したりしながら登る。



この石の辺りで行き倒れた旅人がいて、以来夜中に助けを求めるような声が聞こえるとか…((((;゚Д゚)))



畑の間を行く。善波川の対岸の国道では、大型トラックが重そうな音を上げながら峠道を登っていく。
この辺りは自動車も通行できるので、轍があるが―



車が入れない所まで登ってくると途端にナチュラルな道になる。



古道は左だが、ラブホテルの敷地に阻まれてるんだかで進めないそうなので、標識に従って大人しく右の国道に一旦出る。



新善波隧道の手前で明治時代の旧道へ。



明治時代の善波隧道。古道の峠道はこの上を越えていく。



誰だよwww




隧道の上を越える古道の善波峠切通しと、首なし地蔵。




ダラダラと上る伊勢原側と違い、秦野側は急斜面をスッと下るので眺めが良い。
ちなみにこの辺りの地名は、名古木と書いて「ながぬき」と読む。



曽屋の旧宿場通りが、そのまま秦野駅前の商店街になっている。

曽屋宿〜千村宿

秦野橋で水無川を渡り、右へカーブして道なりに。結構しっかり流れてた気がするが、どこが“水無川”なのだろうか―



保健福祉センターの先を右へ。



日本語・英語・ポルトガル語で怒ってます。



渋沢駅前の国栄稲荷神社。私が歩いている矢倉沢往還は「左 小田原 い々すミ(飯泉)道」な道。



軽く坂を上った先にある二つ塚庚申塔
二つ塚と書いて「ふたんづか」。先頃話題になった矢ツ場ダムと同レベルの凄まじい音便形。



二つ塚の辺りから先が千村宿。
この先は通行不能の廃道区間があるので、隣駅の新松田までは電車で移動する。

松田惣領〜関本宿


新松田駅前が古道、そして宿場筋。といってもこちらは江戸後期に拓かれたもので、古くはもう少し南側と通っていたらしい。



十文字橋で酒匂川を渡る。2日前にレスキュー隊が出動する程の豪雨があった影響で、濁流の勢いは尚も激しく、中洲には流木が引っかかっている。



開成町吉田島地区内は、小田急線に沿った細道を行く。県道720号の抜け道になっているのか、交通量は意外と多い。



開成町のご当地マンホール。

まもなく90度向きを変え、西に進む。
周辺に遮るものの無い直線的な道が急に曲がる不自然さ。何となくここで小田原方面への道が分岐していたのではないかと思ってみたりするのだが…



沿道の立派な蔵。



日も暮れてきた。迷わずに関本まで辿り着きたい―




という思いに反し、ちょいちょい迷いながら関本に向かう尾根道に出た。


関本宿に入ると、旅籠・問屋などの跡地に高札形の板に筆書きされた案内が「関本宿を語る会」によって立てられているのが目を惹く。残念なのは、この時既に19時近くなっており、真っ暗で何が書いてあるか読めない事だ…orz



これは本陣跡を示すもの。
大名行列は原則として東海道を通ったはずなのに、なぜここに本陣が?  と思ったら幕末期、御殿場視察と甲府城代赴任の際に小田原藩主が利用したんだそうな。




長い事歩いて疲れたし汗もかいたので、箱根湯本の日帰り温泉に寄り道して帰宅。