箱根西坂


箱根西坂に入っても、コンクリ未舗装の坂道はずっと石畳のターン。
土の道と違って足底に均等に体重が載らないので、足が痛くなる。



古道を歩いていると、一見民家の軒先みたいな所に出る事が多いが、天下の東海道と言えどその例外ではなかった。
ちなみに箱根峠からこのちょっと先まで、旧街道が三島市函南町の境になっているので、この民家の住所は三島市・畑は函南町という事になるだろうか。



山中城址の手前の路傍に、酒呑みだった雲助徳利*1の墓がある。
時代が下った現代、私が通った時は、誰が供えたのかビールジョッキが置かれていた。粋な計らいである。


そして、この辺りは見事に自販機がない。
思えば元箱根から8km、新たな飲み物を買っていない。オマケに温泉など入ったせいか、心なしか喉の渇きが早い。


箱根峠のドライブインで買えば良かったと後悔し始めた頃には、また林の中。
山中城址の手前で何とか1基の自販機が稼動しているのを見付けた時は救われた。



山中城址を過ぎた先で見事な富士山に遭遇。ちなみに、その一帯を「富士見平」というらしい。



山も美しければ、海も美しい。笹原新田にて眼前に駿河湾が。
この時ちょうど午後3時。昔の人は1日10里歩いたので、江戸を出て3日目のちょうどこのくらいの時間にここを通る事になる。彼らもこんな景色を目にしたのだろうか。



ふと富士山に背を向けると、こちらも広々とした丘が続く。
この辺りは元々、鉄道の開通による通行者の減少で失業した沿道商人が始めた農地だという。



道の東側のみに残る笹原一里塚の脇を通り、更に下る。



塚原新田の「箱根路」と彫られた石標の所でR1に合流。
まもなく松並木が始まる。



松並木の途中にある錦田一里塚。こちらはしっかり一対残っている。


五本松交差点を右前に入り、道なりに三島市街地を目指す。

*1:彼は松谷久四郎と名乗り、一説には西国大名の剣道指南役でしたが、大酒飲みのために事件を起こして、国外追放となり、箱根で雲助の仲間に入りました。優れた剣術の腕前があったので、雲助をいじめる武士をこらしめたり、読み書きができるので、文字が読めない雲助たちの手紙を読んで雲助仲間から親分以上に慕われるようになりました。しかし、普段はお酒を飲んでごろごろしていたので命を縮めることになってしまったのです。彼を慕い彼に助けられた雲助仲間は、ある日相談して金を出し合い、生前お世話になったお礼に、立派なお墓をたてて恩返しすることにしました。そして、その墓には彼が一生飲み続けた酒を、盃と徳利で刻むことにしました。これが彼に対する最大の供養と考えたのです。「箱根の雲助」は、悪者の代表のように言われています。しかし、もし雲助がいなかったら、箱根の坂をのぼれない弱い女性や病人はどうしたのでしょう。重い荷物は誰が運んだのでしょう。このほほえましい徳利の墓を見ていると、雲助たちの温かい人情が伝わってくるような気がします。なお、この墓の最初の位置は、山中の一里塚のあたりでしたが、いつの日かこの地に移ってきました。酒飲みの墓ですので、ふらふらして一箇所に落ち着かないようです。(三島市の説明文コピペ)