川越街道を歩く(1) 板橋宿〜白子宿

旧道標識

土曜日、茨城から帰ってきた足で行ってきた。(2)以降があるかは分からないけど、とりあえずうp。




埼京線板橋駅を降りるとすぐ、西口ロータリーに「旧中山道」の標識。2kmに及ぶ板橋宿は、どうやらこの辺りから始まるようだ。



板橋下宿(平尾宿)の風景。連なる街路灯に「平尾宿」の旗。



平尾の追分。右の商店街が中山道京都方面、大通りの歩道部分が川越街道。この後しばらく首都高板橋JCTの下を通り、大山商店街に入る。

見るからに平坦なのに何が“大山”なのかとも思うが、現在の23区北部から埼玉県南部の一部地域ではかつて、ここを通って練馬区北町1丁目付近から田無・府中を経て鎌倉街道を進み、南町田で矢倉沢往還に入る等して大山参りに向かっていたのであろうから、五街道中山道)から分かれてすぐのこの辺りが大山と呼ばれるようになってもまぁおかしくはないわな。



大山駅前の踏切を渡るとアーケード化し、人も多く歩きにくくなるが、ここを我慢するとR254に出る。写真は国道上から振り返った所。





そこから130m程でまた横道へ。ここから下頭橋までが上板橋宿。下頭橋は石神井川に架かる橋で、そこを過ぎると“南ときわ通り”という愛称に変わって、上板橋第四小学校付近で国道に復帰する。



そして、100m程行くとまた横道の上板南口銀座に入る。



上板橋村と下練馬村の境に立つ庚申塔。ここから練馬区北町に入り、石神井川を越えてから平坦ないし緩い上りが続いていた道は、ほんのひと時下りとなる。




区境の庚申塔から300m、ふじ大山道との追分にある道標。250年前に建てられ、環八のアンダーパス完成と共にほぼ元の場所であるここに戻されたらしい。



この後国道に復帰してから200m、地下鉄赤塚駅3番出口の脇に建つ“鎌倉古道”の道標。現代になって建てられた物のようだ。後で調べたら高島平からここを通って、豊島園の東脇を掠め、鷺宮を経て四面道や阿佐ヶ谷に到っていたらしい。鎌倉中ツ道の間道であろうか?



暫く国道を歩いて成増駅を過ぎ、下りに入ると東埼橋である。国道は端の直前で左に逸れるが、旧道は真直ぐ越える―


と思っていたら、この下りに入る前のBig Boy成増店横で分かれ、暫く国道の右上を並行してから緩やかに逸れていく細い道が古くからの川越街道だという事が後で分かり、この時点では道を間違えていた事に。



暗くてよく分からんが、こちらが本来の白子宿。奥が板橋方で手前が川越方だ。東武東上線の開業で繁華街は成増や和光市の駅前に移り、この辺りは普通の住宅地になっている。



そんな訳で、酒造りなんかも盛んだったみたい。