旧北陸道 倶利伽羅峠

今石動宿 6:30
峠茶屋・天池 7:44
砺波山頂 7:57
加越国境 8:18
竹橋 9:32
杉ノ瀬 9:54
津幡宿 10:07

以上、3里23町の道程を歩いてみた。



仕事のあと、飲み会に参加した足で急行「能登」の乗り込み、早朝に石動入り。
駅前で地元のおばちゃんから、木曽義仲の絵が描かれたハトムギ茶のペットボトルをもらった。早朝からビックリしたが、悪い人ではなさそうだったので、駅前の義仲像の前で記念撮影してもらい、いざ峠に向け歩き出す。



今石動の宿場通り。風情があって良い。



線路を地下道でくぐった先で、北陸新幹線の建設現場と交差する。肥薩おれんじやIGRの前例を見る限り、正直あんなものできない方が地域の為だと思うのだが…



埴生北の信号で県道を離れ、斜め右へ。



埴生の集落。うだつを上げた家も見られる。



倶利伽羅峠の合戦に勝利する事となる木曽義仲が、出陣する際に祈願したとか何とかいう埴生八幡宮。江戸時代には歴代加賀藩主からも手厚い信仰を受けたとか。石段は煩悩の数あったというが、現在では103段しかない。
ここで、義仲が進軍した道と、江戸時代に下ってからの街道筋が分かれる。前者は遠回りで、かつ獣道区間があるようなので、後者を行く。



富山県小矢部市メルヘンランド。列記としたこの付近の地名である。



石坂の集落を抜けた辺りから、旧北陸道を踏襲した登山道が始まる。
スズメバチに注意」の看板がすごく気になる。石坂集落内で会ったオジサンにも言われた。ちょっと不安になる。



峠の小矢部市側は良く整備されている。歩き易い反面、見た目が古道らしくないのが残念。



時折、富山平野を一望できるスポットも。坂の厳しさ、夏の暑さ、未だ見ぬスズメバチへの恐怖から、一時解きほぐされる。



ここに峠茶屋があり、この下にある天池の水が使われていた。「東海道中膝栗毛」の十返舎一九がここを通った際、倶利伽羅の茶屋はどこも立派で、東海道沿いの茶屋のようだと言ったそうな。




幾多の和歌に詠まれた砺波山の山頂にあっさりと到着。この僅か手前で津幡方向から来た男性と擦れ違った。いかにもそれなりの道程を歩いてきたという出で立ち。同士だろうか。



この見晴らしの良い一帯が、800年前に合戦の布陣がなされた場所だという。



しばらく行くと加越国境、現在の富山石川県境に到達。左がバス停と源平慰霊碑、直進が古道であるが、ここに来て遂にあちこちにハチが飛び回り始めた。感慨に浸りながら国界を越えたかったものの、それどころでないので小走りに通過。



六地蔵などあるところを見ると、何とも古道と言う感じでたまらない。石川県側も結構な傾斜。降りる足に響く。



金沢が市外局番4桁、津幡が5桁だった時代の看板が―。



道中ずっとこのような案内板が越中側・加賀側双方から見えるよう設置されているので、脇道に外れなければ迷う事はない。
しかし、この近くに「熊出没注意」の看板が。スズメバチの次はクマか…



峠の津幡側はコンクリート舗装された道が多いが、そうでない区間はとても趣がある。
でも熊が怖いので声を出したり手を叩いたりしながら通るw



そして車止めの先に倒木。こういうのを求めていたんだぉ!
この少し先に倒木で完全に道が塞がっている場所があり、身を捩りながら通過w



坂を下り切って平坦になった所に竹橋の集落が。向こうから来たら峠の前の休憩場所であり、往時は賑わった事だろう。
JRの線路と並行に走る国道8号線に突き当たり、道なりに左へ。



杉ノ瀬の信号で国道を右に逸れて線路を渡り、1km程行くと津幡宿の入口に。朝とはいえ、それなりの暑さだった。
津幡町内にあるレンタカー屋に電話したら、ここまで迎えに来てくれた。車を借りていよいよ「花咲くいろは」巡礼へ。