長崎街道・冷水峠

熊本での勉強会の帰りに、“九州の箱根”と言われた山家宿〜内野宿間・2里20町を歩いてきた。

山家宿 15:35
一里塚 16:30 6138歩
冷水峠 17:00 8935歩
内野宿 17:50 13807歩


西鉄筑紫駅からタクシーで山家へ。
山家宿内で道が90°曲がる、その角に本陣跡がある。ここから歩行スタート。



山家を出てから2km程度は、国道200号をだらだらと上り続ける事になる。
道中このような道標が随所に設置されており、大通りから外れる区間でも、地図無しで道筋を追う事ができる。



ただ、実際の街道が所々消滅している為、道標通りに歩くと行き止まりになる場所も多々ある。
ここは浦の下交差点手前、山家川に沿って初めて国道を離れる場所。しかしそのまま進んだ先は田畑になっている為、代わりに川を渡った先の浦の下交差点から左前方に下りていく道を歩く事になる。



大きく右にカーブして再び国道に合流した後、左に折れ、すぐに進行方向右手の山道に突入する。その山道の傾斜が物凄く、合流地点手前からの累計で高低差は30m程度ある。
国道合流地点は今でこそ上記の如くカーブしながら高度を稼いでいるが、恐らくかつてはお構いなしに30mを一気に直線でのぼっていたのだろう。



その分眺めは良い訳だが。
旧東海道の畑宿〜甘酒茶屋の木道+石畳区間を歩いた時と同様、膝から下でなく大腿四頭筋を使って上る… というか登る。なるほど、九州の箱根というだけの事はある。



「私設道につき事故の責任は負いません」と書かれた看板の先に、またも急な上り坂。
整備して下さった地元有志の皆様、ありがとうございます。気を付けて歩きますw



登った先の名もなき一里塚跡で小休止。この時点で、山家を出て55分。



こちらも“長崎街道”の看板に進んだ結果、バリケードが置かれた先で小道を渡り、民家の敷地に街道跡が消えていく場所。右下に見えるのが国道200号線
バリケードをずらして何とか脱出し、小道から国道へ出た。



800m程国道を上ると、左路傍に国道側を向いて建てられた大根地神社の鳥居の手前で、左前方に上っていく道がある。



鞍部へ向けて最後の上りになる。木立に覆われており、国道を歩いていた時よりも冷気を感じる。



山家を出て1時間半、標高320mの冷水峠頂上に到達。ここから大根地神社へ登る参道があるが、日も傾いて来たのでそのまま峠を下りる事にする。



頂上の御笠・穂波郡境牌。現在もここが筑紫野市飯塚市の境になっている。



内野側の見所はやはり石畳である。ここなどは石の形や色が不揃いで、如何にも年輪を感じさせる。一歩一歩踏みしめて下る。



対してこのように道の端が綺麗に縁取りされているのは、現代に入って復元された区間だろう。
道普請された方々に敬意を評しつつ、サラリと通過する。



筑豊本線冷水トンネルの内野側坑口の上を横切り、一瞬バイパス上に出てから、バイパス開通後に打ち捨てられた旧国道へ下り、再び現道に合流する。
内野宿は近い。



大門跡で左カーブ、西構口で右にカーブを切りながら、内野宿へと入っていく。
幹線街道であるにも関わらず、ここは宿場内外に枡方が設けられていない。このカーブの連続が枡方の役割を果たしているので、敢えて造られなかったという事なのだろうか?



立派な佇まいの商家。



内野宿の町並み



こちらは酒蔵



筑穂町時代に設置されたマンホールも、内野宿仕様。



太宰府へ向かう米山越道との分岐点。
宿場の本陣というのは通常、その街道に面して(或いは隣接して)あるものだが、内野の本陣はここを400m程入った米山越道沿いにあったそうだ。



小学校の先で、飯塚へ向かう街道と別れ、



私は列車で飯塚へ向かった。
かつて乗った時、この区間は1日6往復であったが、現在は8往復まで増便されていた。どこも縮小傾向にある地方路線の中で、これは珍しい変化だと思う。