-41.2℃を知る今はなき鉄路―深名線廃線跡探訪

名寄で幌加内行きバスが来るまで時間があったので、市立博物館へ。
建物自体が旧名寄本線廃線跡に立っていて、当時の線路を一部残して除雪機関車を展示しているのだが、この季節は防雪シートがかぶっていて見られないようだ。
館内に入ると、職員がとてもお役所公務員とは思えないほどご丁寧に荷物を預かってくれたり、案内をしてくれたりした。展示室には、市の歴史やアイヌ文化を紹介する展示品が多くあり、道北名寄を語るに足る内容ではあったと思う。だが、そもそも私はこの日の何人目の来館者だったのだろう。入場料200円はありがたいし、地元の小学校が社会科見学などで利用しているようだが、恐らくその数倍の維持費と、2人もいる職員への人件費がかかっているだろう。我々がせっせと払っている地方交付税の行き着く先を垣間見た気がした。




駅前に戻り、幌加内行きのバスに乗る。この時点で乗客は私と女性の2人。
バスが駅前から田園地帯と思われる雪原の中に入った頃だ。


早速“西名寄”と書かれた駅接近の運転手用標識ハケーン。ヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノ


踏切は撤去されていたが、看板が道道のすぐ左側に見えたので、その地点で道と鉄道が直交していたのだろう。若干傾いてはいたが、廃止から10年半経っている事を感じさせないほど綺麗な黄色地の中にハッキリ「西名寄」の文字を確認できた。



次の天塩弥生駅跡らしき所を過ぎた時だ。

次は 北川宅前


キタ━━(゜∀゜)━━━ッ!!   北海道らしいバス停。周りを見渡しても家などその1件しかないから、私のような関係ない旅行者にも「あれが北川さん家か」と判ってしまう晒し名称。そもそもその北川さんが引っ越したらどうするんだと小一時間。



まもなくバスは、険しい分水嶺を登り始める。高度を増すにつれて徐々に強くなる雪。だが微かにではあるが名寄盆地が見える程度の視界はあった。スリップを防ぐ為、バスは30km/hを切るかという速度でセンターラインの見えない道路をゆっくり登る。「名母トンネル」の標識が見えたときはホッとした。


全長およそ2キロの分水嶺のトンネルを、雪から開放されたバスは一気に走りぬけ、石狩側を軽快にくだr―




視界ゼロっていう。Σ(゜Д゜;≡;゜д゜)




直線であろうと思われる区間も、時速20キロ出せない。乗ってるこっちが怖いのだから、運転手の緊張たるや計り知れない。これが日本最低気温-41.2℃を記録した幌加内町母子里の実情だ。



峠を下りきり、母子里の市街に出ると視界も開け、依然としてセンターラインの見えない道でありながら、ここぞとばかり回復運転を試みる運転手。朱鞠内で女性が下車し、乗客は私一人に。ここから幌加内までは文字通りの1本道となり、先ほどにも増して速度を上げるバス。こちらも、猛スピードのバスの暮れゆく車窓に何か1つでも深名線の遺構を見つけようと必死に目を凝らしていた。



政和〜雨煙別の中間あたりに来た時だ。雨竜川に不自然にかかる鉄橋。間違いない、廃線跡だ。
そのまま道床らしき木立の少ない所を目で追っていると、山に雪除けのネットが幾つも張ってある場所があった。こんな無人地帯で、道路や鉄道がなければあんなもの設置するはずがない。もはや必要なくなった雪除けが、確かにあの下に鉄道があったことを雄弁に語っていた。



回復運転の甲斐あって幌加内でには少しの遅れで到着。バスはそのまま深川行きにサボを変えるが、発車まで20分ある。残念ながらバスターミナル併設の深名線メモリアル展示室は17時で閉館してしまっていたので、近くをぶらつく。
と、ターミナル横に何とも味のある商店があったので、吸い寄せられるように入る。早速入口に立てかけてあった雪かきに私がつまずいた音を聞いて、中からオバチャンが出てきた。店は食料品とスナック菓子、清涼飲料水に文房具など必要最低限のものがあり、商品によってはホコリを払った後があるような物も。22年しか生きてないのにもの凄く懐かしい感じがすると同時に何か買いたい衝動に駆られ、オロナミンCを1本買った。
オバチャンに「幌加内駅の跡はどこか?」と訊くと、ここから斜め方向の食堂の近くだという。バスが出るまでに行って帰ってくるのは無理そうなので、そそくさとターミナルに戻った。