19835.5kmの終の果て

石見銀山からバスで日本海沿いまで下り、仁摩サンドミュージアムを見学。その後山陰本線で江津に向かい、ここから最後の32.6kmに乗るべく、三江線449D列車に乗り込む。車内は座席の半分くらいが埋まっており、地方ローカルとしてはなかなかの利用客数だ。


15:07、定刻で江津駅を発車。すぐに江の川に寄り添い、昨年の豪雨で崩落・流出した区間では特に速度を落としながら緩やかに登る。



1時間後、因原を30秒の遅れをもって発車した後、車内に響く「次は、石見川本」のワンマン放送。
不思議な事に、直前まで降っていた霧雨が止んだ。物心付いてから鉄道ファンやってきて、ずっと夢見ていた瞬間が迫った。




5分後、列車が速度を落として駅構内のポイントを通過、まもなく緩やかに停車した。




平成19年7月22日16時12分03秒、石見川本駅2番のりばに左足を着き、16年前の御殿場線に始まった乗り潰し旅行は終焉を迎えた。ここで急いで、乗ってきた列車を記念撮影。


駅を発車し、小さくなっていく列車を見送りながら、治まらない昂揚感と、「遂に終わってしまったんだ」という侘しさを感じつつ、改札に向かう。






「おめでとうございます。」




改札にいた女性が、私に向かってこう言った。





???



伺えば、地元の鉄道ファンの方で、石見川本鉄道研究会さまのBBSの私の書き込みからこのブログを辿り、お祝いに来て下さったとの事。ホームで慌てて列車を撮ったり感傷に浸ったりしている一部始終を見られてしまったようで、お恥ずかしい限り。(^^ゞ
恐らくこの行程表をご覧になったのだろうが、実際にはこれより1本後の列車に乗ってきた形になったので、もしかしたら無駄にご足労かけてしまったのではないかと、後になって申し訳なく思ったが、その時は思わぬドッキリにいっぱいいっぱいで、それを冷静に考える余裕もなく、ただ嬉しかった。


駅長さんと記念撮影の後、この女性、それに一緒に来ていた娘さんにも入ってもらいもう1枚。
ここで女性の工房で製作されたバクのマスコット(赤)と、川本の地酒を頂いた。この先長い旅行、まかり間違ってもこれらを破損してはなるまいと、翌日、緩衝材たっぷりで自宅にゆうパックする事になる。w


女性から教わった、同鉄道研究会の代表の実家は、駅から3〜4分の所にあった。当日は日曜で休業中だったが、店内にいた代表のお母さんに話をきく事ができ、ここでも記念撮影をさせてもらい、ジュースなどを頂いてしまった。(^^ゞ




高速バスの時間の都合で、40分あまりで川本の町を後にしたが、バスに乗ってしばらく興奮が収まらず、落ち着いてから頂いたお土産を見て、泣き出しそうになった。




JR、友人、家族、そしてこれまで立ち寄ってきた全国津々浦々とそこで触れ合った人々に…




ありがとう。