浦賀道を歩く

吉田松陰坂本龍馬も歩いたという浦賀道の東ルートは、六浦陣屋から浦賀奉行所(または灯明台)までを結ぶ古道。
物心付いた頃からすぐそば住んでいながら、最近その存在を知ったので、いっそ歩いてしまおうかと。(ぁ


六浦陣屋跡から現在の浦郷トンネル付近までは、一部区間を除き現国道16号とほぼ同じで面白くないので、追浜一丁目バス停からウォーキングをスタート。



浦郷トンネルの横の石段を上ると、



いかにも古道といった感じの様相。
ネット情報ではこの先に切通しがあるとの事だが、結局発見できず、半ば迷いながらも地元の土地勘だけを頼りにR16の船越町交差点に復帰。



古道はここから西に折れ、京急のガードをくぐった先で東逗子方面へ向かう道と分かれる。写真やや左、白いトラックが停まってる先が古道。そのまま道なりに進んで港が丘団地に入り、



板取公園を右に見ながら坂を登る。ここから少しの区間は宅地造成の影響で古道が消滅しているが、盛福寺と田浦幼稚園の共同駐車場の裏手の一見私有地のような所から再び姿を現す。



民家と竹林の間を下ると、



開けた場所に出る。写真中央の道が浦賀道で、その右側がJR横須賀線。左奥で京急線をアンダーパスする。
この先、斜め右に折れる道に入って国道に出、横須賀線のガード下を抜けるが、すぐ次の路地を右に入り、田浦梅林の方へ向かう。



ここに梅が植えられたのは昭和9年であり、残念ながらこの道が賑わった時代には存在しなかった模様。



と、この場所で、歩き始めて初めて「浦賀道」という文字を目にし、異様に高まる。(ぁ
道は梅林の入口の手前で左に折れ、サミットである十三峠へ向かう急な石段を擁する。この石段に当たる太田坂は、ここが国道だった明治時代、日本の国道で最も急な場所だったらしい。



石段を上り切った所にある現代の道標。そこから更にだらだらと坂を登り続けると、小さな公園が見えてくる。



開拓記念碑が目印の長浦三丁目公園。



用具庫にもハッキリと「十三峠」の表記が。何だかホッとしたと同時に、自宅を出てから一度も水分補給をしていない事に気付き、公園の水道で充電。



十三峠からの眺望。



更に尾根伝いに歩くと塚山公園の敷地に入り、三浦按針夫妻墓付近で二手に分かれる。そういえば小学校の遠足とかで来たなぁ。
地図上の「十三峠」は先程の場所だが、標高としての最高地点はこの辺りだそうだ。古道は左に下る。



本町山中有料道路の料金所を左に見る辺りに分かれ道があるが、ここは右の急坂を逸見駅方向へと下る。



十三峠の六浦方の麓である太田坂も凄かったが、浦賀方の坂もこんな調子である。登り口には日本語と共に「WILLIAM ADAMS TOMB」と書かれた路傍石が立てられていた。
ここを下りきった所で、自然にまっすぐ続く道から分かれ、左の住宅地に入る細道がある。旧道というものは大抵、宿場町や城下町の周辺を除けば滑らかな筋を描く事が多いものだが、こればかりは左が正解らしい。



そのまま概ね道なりにR16汀橋交差点に出るが、またもすぐ次の逸見駅入口交差点から内陸に向かう。正面の細い道がそれ。



もうこの程度の坂だと、あまり苦に感じられなくなってきた自分が恐ろしい。w



と、この坂を登り切った辺りに、横須賀市の文化振興評議会が設置した現代の道標が。助かった、これがなければ確実に写真右奥に延びる直進路へそのまま進み、迷子になっていたところだ。



道標に従って左に曲がると、しばらくして私有地に挟まれた場所を抜けるような所に出る。古道歩きで、人の手でガーデニングされた庭の間を通るとは思わなかった。w



そのまま山の縁に沿って汐入駅前まで下りる。ここからの200mくらいの道筋がよく分からなかったが、駅裏の道を入り、2つ目の十字路を右に曲がって緑ヶ丘高校方面へ登るのが妥当ではないかと推測して歩く。
緑ヶ丘高校へ向かう坂を登り終えた地点にある物を皮切りに、この先はこれまで以上に頻繁に現代の道標や説明板が沿道にみられるようになり、横須賀の旧市街へと入っていく。



文化会館付近の深田の街並み。現在の上町商店街アーケードから1本入った所にこのような風景が残っていた。
ちなみに横須賀市の成人式は、84年度生まれである我々の代まで文化会館で行われていた。



左がR16安浦二丁目交差点に向かう現道。古道は県立大学駅前に続く右の道である。



県立大学駅前から浦賀方を望む。このまま歩いて行きたい所だが、ここから馬堀までは線路と並行するただの平坦な1本道だし、何より浦賀に着く前に日が暮れてしまうので、馬堀海岸まで電車でワープする。



で、上の1本道が馬堀で県道208号に合流する地点がこんな感じ。ここから矢ノ津坂を越えると、浦賀駅前に着く。



駅前から奉行所方の県道208号を望む。



浦賀郵便局前で古道は県道から離れて20m程内陸を伴走する。浦賀駅からここまでは現金払いに限り100円でバスに乗れる。



この辺りまで来ると、本当に至る所に案内板がある。



民家に埋もれて気付かなかったが、灯明台方から戻ってみたらハッキリと為朝神社が見えた。ここを六浦方から来た場合は右(写真左方向)へ曲がると、



2分程で奉行所跡に到着。現在この場所は、古めかしい公営住宅と化している。