旧東海道 小夜の中山
以前から歩いてみたかったかつての難所、旧東海道・金谷〜日坂間。今回はその先の掛川までの3里17町を歩いてみた。
金谷一里塚 | 11:46 | ― |
菊川間の宿 | 12:17 | 3023歩 |
小夜の中山 | 12:51 | 5327歩 |
日坂宿 | 13:38 | 9153歩 |
事任八幡宮 | 14:22 | 10933歩 |
伊達方一里塚 | 14:40 | 13077歩 |
葛川一里塚 | 15:18 | 17732歩 |
掛川城大手門 | 15:42 | 19422歩 |
JR金谷駅すぐの一里塚跡が、金谷宿の西の外れ。ここからスタート。
茶畑の間を抜けている時、防災無線が正午を知らせた。
諏訪原城址前を抜け、菊川坂の石畳を下ると、間の宿・菊川の里に出る。
写真は菊川坂のうち、江戸時代後期の姿を留める区間。
菊川の里は正式な宿場ではなかったが故に、大井川の川止めの際も、宿泊には金谷宿の許可が必要だったり、尾頭付きの食事が提供できなかったりといった制約があったそうな。
菊川の里会館でお茶を買う。お店のおばちゃんから「大阪からの方ですか?」と訊かれたのだが、何の事だろうか?
菊川の里を過ぎ、箭置坂に入る。これでもかというくらい風光明媚なのだが…
斜度16度の坂で、海抜100mの菊川の里から、海抜180m程度の地点まで一気に上がる… というか登るので、体は必死である。
登りきった所で振り返ると、谷底に菊川の里の東端が見える。
一旦坂が緩やかになった後、先程よりはマシだが、それでも結構な上り坂が続く。
その途中に市境の表示。行政区分上は島田市から掛川市に入るが、道はまだまだ上る。
この辺りで、大阪からの中高年御一行と擦れ違う。さっき言ってたのはこの団体さんの事だったか。
再び坂が緩やかになり、道が右にカーブした先が、海抜255m・小夜の中山峠。
久延寺本殿と夜泣石にお参り。
佐夜鹿一里塚を過ぎ、気持ちの良い坂を下る。
ここまで上り坂で火照っていたので気付かなかったが、外気温は8℃。流石に寒くなってきたので、金谷坂石畳で脱いでからずっとしまっていた上着を取り出す。
先程の夜泣石が元々あった場所。安藤広重「東海道五十三次之内日坂宿」にも描かれている場所だが、周辺がのどかな茶畑なのに、この場所だけ妙に鬱蒼としている。
沓掛の七曲と呼ばれる急坂。車社会になる前から九十九折だったというのは、相当の急斜面である事を意味する。先程の中高年方々はここを上ってきたのか。
坂の終盤に屋号か書かれた木札が連なった場所が。R1バイパス高架下と県道415号を横切り、日坂宿へ入る。
昔の旅人にとっては、大井川と小夜の中山を立て続けに越え、やっと一息つける場所だったろう。金谷と掛川という大きな宿場に挟まれて規模こそそこまでではなかったが、重要な役目を果たしていたものと思う。
旧旅籠・萬屋は、無料で2階まで見学できる。
2階の座敷は、低い手摺のみで格子窓のない開放的な構造が特徴的だとか。
萬屋が庶民宿なら、川坂屋は士族も泊まる宿だったと言われている。こちらも無料公開。
宿は基本雑魚寝で良かった当時、押入れが少なく収容可能人数の多い設計になっている他、2回の庇に松竹梅が彫られており、夕日が当たると浮かび上がるとの事。少し時間が早すぎた。
日坂宿高札場を右に見て、下木戸跡を過ぎて逆川の古宮橋を渡る。
県道415号と交わったところに、遠江国一宮・事任八幡宮がある。願い事が“ことのまま”に叶うと言われ、パワースポットとしても人気らしい。この日も初詣客で賑わっていた。
八坂ICから本村橋交差点までは、伊達方一里塚近辺の一部区間を除いて延べ3km程度国道をひたすら歩くので、面白みには欠ける。
葛川一里塚を過ぎると、いよいよ掛川の街が近くに見えてくる。
七曲で迷いつつ、商店街を抜けて、金谷を出て4時間で掛川城大手門・すいのや前にたどり着いた。