ふるさと銀河線、最後の力走

早朝の北見に降り立ち、ちほく高原鉄道の乗車券を買おうと券売機の前へ。

旧千円札以外の紙幣は利用できません。駅窓口をご利用下さい。


二千円札が使えないと言うならまだしも、五千円、一万円、新紙幣も入らないとは…  本社の目の前の券売機でこれだ。相当の経営難にあっただろう事が早速伺えた。


北見から置戸行き始発列車に乗り込んだのは10人弱。途中、訓子府などの主要駅で客を入れ替えながら置戸に到着。ここから峠越え区間を行く列車に乗り換えたのは私を含めて4人。それも「利用者」ではなく、全員がカメラを携えた「訪問者」だった。廃止前だからこそ「訪問者」がこれだけ沢山いるが、恐らく普段は、陸別まで運転手の一人旅列車だったのだろう。



早速私も負けじと前でカメラを構える。小利別まで20分、この時ばかりは動画撮影だ。


ふと運転席側に目をやると、「訪問者」の1人である中年男性と運転手が話している。運転に集中しなくて大丈夫なのかなぁ…




ブレーキハンドル離して横向いて喋ってますが…Σ(゜Д゜;≡;゜д゜)




いくら一面雪原しかないの峠越えだからってそれはどうかと…


と、こちらも集中。
すると、中年男性とその横にいた大学生が前を譲ってくれたので、有難く先頭へ。より安定した映像を撮ろうと荷物台にカメラを据え置いた所、それが帰ってあだになった。上り坂に喘ぐディーゼルの振動でカメラが停止。直している間に肝心の分水嶺を撮り逃してしまった。


めげずに撮影再開。列車は奥十勝の山間を軽快に下っていく。
まもなく小利別に着くという所で、運転手が三角屋根の駅舎が珍しいからと撮り方まで教えてくれた。三角屋根は知っていたが、走行中の列車内からどう撮ったら良いかまでは知る由もなく―。何とも親切な運転手に出会ったものだ。



と、停車後に運転手が「駅撮らせてあげるからちょっと行ってきな」と。



この運転手、ネ申。'`,、('∀`) '`,、





有難く撮らせてもらった、駅舎と逆アングルの写真。特徴的な駅前の温度計には"-8.9℃"とある。




川上駅を撮る為に列車を降りてタクシーで小利別に引き返そうと思っていた私は、小利別を出た直後、運転手に時間と費用がどのくらいかかるか訊いてみたところ…



「川上は本来15秒停車なんだけどねぇ。皆さん写真撮りたいでしょ? 長めに停まってあげるから。」




この運転手、どこまでもネ申。




↑これまた有難く撮らせてもらった物の中から、フォトライフが容量いっぱいになるので3枚厳選。特に最後の写真は、我々に先回りして運転手が駅の戸を開けてくれて、そこを通って並走する国道近くまで出て行って撮ったもの。中には線路のど真ん中から撮る人も居たりして、たまにこういう大当たりに出会う地方交通の醍醐味と、その“たまに”を一番欲しい所で見事引き当てた幸運を120%噛み締めた。



運転手は、陸別、大誉地、上利別と主要駅を通るごとに乗客を増やしていた列車を、その先にある愛冠でも数秒間余計に停めてくれ、縁起の良い駅名に似つかわしく可愛らしい待合室をも収める事ができた。
愛冠の次の足寄は、松山千春鈴木宗男氏の出身地としても有名な町。置戸から同乗した人達と、何より運転手に丁重に挨拶をして途中下車した。




ひとまず駅で記念DVDとキーホルダーを購入し、足寄の市街唯一の観光地と言っても良い「松山千春の家」へ。といってもごく普通の家なのだが、肖像画が飾ってあったり家がキレイに改装されていたりと見物者を意識した造りになっており、まだ朝8:30でありながら、私がいた数分の間にも札幌ナンバーをつけた観光タクシーの客数人が訪れてきた。


駅に戻り、町が一望できる駅併設の展望塔へ。町を眺めていると、展望塔の時計が9時の時報を鳴らしたので、その大時計の裏側に当たる所まで展望塔の階段を降りてみた。




↑時計の制御盤の一部。限りあるフォトライフの容量割いてうpしてますが、特に意味はありまs(ry




先程の神運転手のおかげで1列車早く動けたので、足寄に続き本別でも途中下車。これまた特に何があるわけでもないので、寒風の中、利別川の土手を少し歩き、A-COOPで100円のお茶買ってそそくさと駅に帰還。
本別から乗った快速「銀河」は立ち乗りが出る程の盛況ぶり。どの列車もみんながみんなこんな状況だったら廃止もなかっただろうなぁとしみじみ。



かつて道央とオホーツク沿岸を結ぶ大動脈で、かつては「網走本線」といわれた池北線。国鉄が廃止を承認してから21年間、よく頑張った。各主要駅に設置された「ふるさと銀河線が永遠に走り続けるように私たちも応援します」と書かれたメモリアルレールプレートの声も、来月20日を以って届かなくなる。