大崎下島・御手洗


竹原港から43分で大長港にとーつき。4人組の同業者一団と一緒だったw



到着後すぐに御手洗行きの路線バスがあったようだが、私を含めた5人共々、地図をゲットしたり写真撮ったりしてる間に乗り損ねてしまったので、御手洗まで1km少々歩く。前日、竹原の街を歩き回った足には堪える。



尤もその途中、大長みかんの直売所で搾り立てのみかんジュースを頂いたりしたので、寧ろ楽しく歩けたが。



御手洗の町並み(郵便局側から振り返って撮影)。こちらは道が細いのと、潮のにおいがするのとで、竹原とはまた違った趣がある。



上の写真奥の旧柴屋住宅では、本邦に2枚しかないという、伊能忠敬の測量図が展示されている。



通りを抜け、郵便局の角を左折すると、2:40を指した懐中時計と、水色と白の看板が目印の新光時計店が。店内ではちょうど店主らしき男性が時計の修理を行っている最中だった。



世界中から修理依頼があるというのは本当らしい。



その1区画先が乙女座。
何せ道が細いので、真正面から全景を収める事はできない。



外見も然る事ながら、中に入ると物静かな昭和の香りに息を呑む。
まずは麻音たんの視線で、ステージ→座敷。



1階座敷→ステージ。



2階座敷→ステージ。2階には映写機と旧映写室が残されている。


音のない、少しひんやりとした空間に行灯の光が浮かぶ。座敷にしばらく佇んでいると、体の芯から綺麗になっていくような感覚さえする。



そして麻音の実家・七卿落遺跡。内部は無料で見学できる。



部屋の中も再現度が高い。



のりえ達が真似して「足が…」と言ってた標識。満舟寺の乱れ築きの石垣を回った所にあり、御手洗の散策マップにも「足長小学生?」として紹介されている。



海沿いに出て、なごみ亭であなご飯を頂く。どちらかといえばうなぎ丼に慣れている関東人の私としては、弾力のある焼き穴子の歯ざわりが新鮮である。
店内に生簀があり、数量限定で朝採れた魚をふんだんに盛り付けてくれる定食もある。



トイレを借りたついでに、2階の座敷から瀬戸内海を。
この山側の部屋が客室になっており、「たまゆらファン感謝特別プラン なので」を展開しているが、如何せん原則1日1組の限定の宿なので、予約は容易ではない。



旧常夜灯・住吉神社・千砂子波止を過ぎ―



脇坂屋の駐車場へ。



「のどか亭」の宿泊客が来て、麻音がお送りに行ったのはココ。



大長や御手洗は、みかんだけでなくレモンも有名らしい。ここの売店でレモン羊羹を購入。



地元の子供達がテニスをして遊んでいた“ふるさと学園”の奥から、歴史のみえる丘公園展望台へとひたすら上っていく。
幼女かおたんが幼女のりえに無理矢理上らされた階段。



幼女のりえ「だってさっきはこのくらいだったけど」



「今はこんなに見えるようになったんだよ。」


正直かおたんに同情する。子供の足でこれは普通にキツい。



展望台。



幼女麻音「神奈川ってどこ?」
幼女ぽって「あっち… ん〜と、こっちかもしれないので。」


左が呉方面、写真右の島はもう愛媛県今治市。北東方向を向いているので、少し右寄りを指した2回目がやや正解に近いかと。



この場所に立ったら、やっぱ口笛吹きたくなるじゃないですか〜(何


えぇ、吹きましたよ、周りに誰もいなかったし。(x




展望台頂上から。奥に見える陸地は四国。



少し下って。



駐車場広場。



再び町に下りて、若胡子屋跡。
風待ち・潮待ちの港として、西国大名の参勤交代船や商業船がとまり、海の宿場としての役割を担っていた御手洗には、広島藩公認の遊郭が4つあり、うち最大だったのがココだとか。
熊本藩の細川公などは江戸への参勤の途上にここに寄って大変お気に召し、大金を叩いたというが、接待する側の遊女の勤務待遇が極めて不良なのは古今東西共通だったようで、館内には彼女らの悲しい歴史の一部が展示されている。




若胡子屋跡の先を左に入ると、御手洗天満宮がある。本殿北側に、菅原道真公が大宰府に流される途中で立ち寄って手を洗ったという、“御手洗”の地名の由来ともなった井戸があり、その横に、念じながらくぐると願いが叶うというトンネルがある。



3時間以上かけてじっくり堪能したところで、大長港へ引き返し、14:02の高速船で竹原へ戻る。
帰りも、行きの4人組と一緒で、何故か皆座る席も行きと同じだったw